【労災・精神疾患・過労自死】労働者Cがうつ病エピソードを発症したとは認められないが適応障害の発症は認められ、それとその後の自殺は業務に起因しているとされた国・敦賀労基署長(三和不動産)事件・福井地裁令和2年2月12日労働判例1224号57頁を解説します。
1 はじめに
裁判所が、精神障害とその後の自死が業務に起因していると判断するに当たっては、「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(001140929.pdf (mhlw.go.jp))が合理的であるとして、基本的にこの認定基準に該当するかを検討します(詳細は【労災】精神障害の労災認定基準の基本を説明します。 (fukuoka-roudou.com)参照)。
精神障害に業務起因性が認められるには以下の3つの要件に該当することが必要です。
1 対象疾病を発病していること。
2 対象疾病の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること。
3 業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発病したとは認められないこと。
そのため対象疾病の発症が認定できなければ、いかに強い心理的負荷が業務上認められたとしても労災認定(業務起因性の認定)はされません。そのため、対象疾病の発症をいかにして主張立証するかが重要となります。
本件では、うつ病エピソードの発症は認められなかったものの、適応障害の発症は認められました。これらの認定の在り方について説明します。
2 うつ病エピソードと適応障害の認定基準
⑴ うつ病エピソード(軽症)の診断基準
ICD-10診断ガイドラインによれば,うつ病エピソードのうち,軽症うつ病エピソードについての診断基準は,
①抑うつ気分,
②興味と喜びの喪失,
③活動性の減退による易疲労感の増大や活動性の減少
のうち,少なくとも2つを満たし,
かつ,
a集中力と注意力の減退,
b自己評価と自信の低下,
c罪責感と無価値観,
d将来に対する希望のない悲観的な見方,
e自傷あるいは自殺の観念や行為,
f睡眠障害,
g食欲不振
のうち,2つを満たす場合で,
これらのエピソードは2週間にわたって持続しなければならない
とされている。
⑵ 適応障害の診断基準
ICD-10DCR研究用診断基準によれば,適応障害の診断基準は以下のとおりである。なお,成人期の適応障害の症状としては,その人の持つ人格傾向によってさまざまな反応が一過性に起こるとされ,抑うつ,無気力,注意散漫,統制のとれない行動,不機嫌,易刺激性,暴力行為などの攻撃的傾向があるとされ,また,不安,抑うつ,焦燥,過敏,混乱などの情緒的な症状,不眠,食欲不振,欠勤,早退,過剰飲酒等の問題行動があるとされる。
① 症状発症前の1か月以内に,心理社会的ストレス因を体験した(並外れたものや破局的なものではない)と確認されていること(診断基準A)
② 症状や行動障害の性質は,気分(感情)障害(F30-F39)(妄想・幻覚を除く)やF40-F48の障害(神経症性,ストレス関連性及び身体表現性障害)及び後遺障害(F91.-)のどれかに見られるものであるが,個々の診断要件は満たさない。症状はそのありようも重症度もさまざまである。
③ 上記各症状は,遷延性抑うつ反応(F43.21)を除いて,ストレス因の停止またはその結果の後6か月以上持続しないこと,しかし,この診断基準がまだ満たされない時点で,予測的に診断することはかまわない。
3 原告の主張したうつ病エピソード及び適応障害を基礎づける事実
※原告は労働者Cの母です。
(ア)Cは,平成24年6月頃から疲れた様子でため息をついていた。
(イ)原告は,同月下旬頃,Cに対し,車を購入する旨伝えたが,Cは全く返答せず,同年7月の車購入後も喜んでいない様子であった。
(ウ)Cは,同年6月28日午後8時頃,突然トラックで自宅に戻り,玄関の戸を道路へ投げつけた。
(エ)Cは同年7月頃から,風呂も時々しか入らなくなり,夜に弁当を買って帰っても殆ど食べなくなった。また,この頃からCはやせて見えるようになった。
(オ)Cは,同月下旬頃には,担当していたごみ分別作業に遅れがみられるようになり,指示どおり動けなくなったり,パニックに陥った状態となっていた。また,同年8月上旬までには非常に疲れた様子でぼそぼそと話すようになり,話しかけても反応しなくなった。
(カ)Cは,同年7月下旬になると笑うこともなく固まったような表情となって,ふらふらしていた。
(キ)Cは,同年8月2日,翌日の買い出しをするものをメモ書きしている際,何かイライラしている印象であった。
(ク)Eの息子であるF(以下「F」という。)が,同月3日にCに電話を掛けたところ,Cの声の感じから元気がないように感じた。
(ケ)Cは,同日,本件遺書を作成して自殺した。
4 裁判所の判断
(1)うつ病エピソードについて
ア 前記前提事実(3)ウ(ア)のとおり,ISD-10診断ガイドラインによれば,うつ病エピソードのうち,軽症うつ病エピソードについての診断基準は,①抑うつ気分,②興味と喜びの喪失,③活動性の減退による易疲労感の増大や活動性の減少のうち,少なくとも2つを満たす必要があることが認められる。
イ しかし,上記認定事実によれば,原告が指摘する事実のうち,平成24年3月又は4月頃,Cが不眠を訴えていたこと,同年6月28日午後8時頃,Cが原告宅に突然トラックで乗り付け,玄関の戸を外して道路に投げつけるということがあったこと,Cが同年8月2日にEから叱責を受けた後,イライラしている様子であったこと,その翌日電話において元気のない声であったこと,Cが自殺前に本件遺書を作成したことは認められるものの,Cについて,上記①ないし③の症状発生をうかがわせる事情は認められない。
むしろ,上記認定事実のとおり,本件□□屋従業員やKが,上記の点を除き,Cの様子について普段と変わった様子を感じなかったというのであるから,Cについて,上記①ないし③の症状があったとは認められないものというべきである。
これに対し,原告は,平成24年6月以降のCの様子から,上記①ないし③を満たす旨主張し,原告本人尋問及び陳述書ないし聴取書(甲1の125頁ないし136頁,364頁ないし367頁,452頁ないし456頁,457頁ないし461頁)において,Cの様子(争点①に係る原告の主張イ(ア),(イ),(エ))に関する供述を行い,証人Qも証人尋問及び陳述書(甲38)において,Cの様子(争点①に係る原告の主張イ(オ))に関する供述を行っているが,上記認定事実によれば,同月以降,本件自殺までの間,原告がCと同居し,その様子をつぶさに観察していたものとは認められないこと,原告,Qいずれの供述もこれを裏付けるに足りる証拠がないから,原告及びQの供述は採用できない。
ウ 以上より,Cがうつ病エピソードを発症していた事実は認められない。
(2)適応障害について
ア 診断基準について
前記前提事実(3)ウ(イ)によれば,適応障害の診断基準として,ICD-10DCRがあり,これによると,①症状発症前の1か月以内に,心理社会的ストレス因を体験した(並外れたものや破局的なものではない)と確認されていること(診断基準A),②症状や行動障害の性質は,気分(感情)障害やF40-F48の障害(神経症性,ストレス関連性及び身体表現性障害)及び後遺(ママ)障害(F91.-)のどれかに見られるものであるが,個々の診断要件は満たさない,症状はそのありようも重症度もさまざまであること(診断基準B),③上記各症状は,遷延性抑うつ反応(F43.21)を除いて,ストレス因の停止またはその結果の後6か月以上持続しないこと(しかし,この診断基準がまだ満たされない時点で,予測的に診断することはかまわない)(診断基準C)が診断基準となる。なお,適応障害については,ICD-10DCR以外の診断基準も存在するものの,認定基準専門検討会報告書において,「アメリカ精神医学会による基準(DSM-Ⅳ-TR)などほかの診断基準を否定するものではない」(乙4の2頁)とされていることから,ICD-10DCRの基準によるのが相当である。
イ 診断基準Aについて
上記認定事実によれば,Cは,平成24年6月の本件□□屋開業後,Eからたびたび叱責を受けており,また,同年8月2日には不動産登記の名義変更に関する書類の不備に関して叱責され,「後の処理のことはお前には頼まん。」と言われたこと,同日以前の1か月時間外労働時間が100時間を超えていたことが認められる。
これらの事実によれば,Cが心理社会的ストレス因を体験した(並外れたものや破局的なものではない)ものと認めるのが相当であるから,Cについて診断基準Aを満たしているものと認められる。
ウ 診断基準Bについて
上記認定事実によれば,平成24年8月2日以降,Cにはイライラしている様子や,声に元気がなくなった様子が認められるとともに,Cが同月3日にA事務所に出勤することになっていたにもかかわらず出勤せず,「もう,これ以上こき使われるのにはつかれた。C」と記載した本件遺書を残して自殺したことが認められる。
とすれば,同日頃のCには,前記前提事実記載の適応障害の症状のうち,少なくとも,無気力,統制のとれない行動,不機嫌などの攻撃的傾向,欠勤という問題行動があったことが認められ,かつ,これらの症状が気分(感情)障害やF40-F48の障害(神経症性,ストレス関連性及び身体表現性障害)及び後遺(ママ)障害(F91.-)の診断基準を満たしていることは認められない。
そうとすれば,Cについて診断基準Bを満たしているものと認められる。
エ 診断基準Cについて
上記ウで認定したCの症状が現れたのが平成24年8月2日以降であり,その翌日に本件自殺が発生したことに照らせば,予測的診断として診断基準Cを満たすものと認めるのが相当である。
オ 以上によれば,Cについて,適応障害の診断基準を満たしていたことが認められ,上記認定事実のとおり,平成24年8月2日以降,Cがイライラしたり,その声に元気がなくなっていたこと,その翌日には欠勤して,本件遺書を作成の上,自殺に至っていることからすれば,Cの適応障害発症時期は遅くとも同月2日であったものと認めるのが相当である。
5 業務による心理的負荷の内容
本件では対象疾病の発症の認定の在り方を中心に説明しましたが、念のため業務による心理的負荷がどのように認定されたのかも記載しておきます。
本件疾病発症および自殺の業務起因性については、
(ア)平成24年6月6日からの本件浜茶屋という新しい職場で業務を開始し、そこでは時間外労働時間がそれまでより約 20時間増加し、増加後の時間外労働時間が100時間に達していました。その心理的負荷の強度は「中」であるとされました。
(イ)24年7月8日~同月19日まで2週間 (12日) の連続勤務あったところ、 本件浜茶屋における業務が「休日に対応しなければならない業務」に該当することからすれば、そ の心理的負荷の強度は「中」であるとされました
(ウ)上司との関係に関する出来事として、本件浜茶屋店長Fとの対立があり、対立を見かねた三和綜合の代表取締役Cの呼びかけで行われた話合いの結果、Kが経験が浅く年少のFの指示に従わざるを得なくなったことを考慮すれば、少なからぬ心理的負荷があったものと考えられ、Cによる叱責も相当な頻度で行われたことが認められるところ、24年8月×日の叱責は、業務指導の範囲内であったとしても、その内容や口調から強い叱責であったと認めるのが相当で、これらによる心理的負荷の程度は少なくとも「中」であるというべきとされました。
(エ)Kが適応障害を発症した24年8月×日以前1か月の時間外労働時間が100時間を超えていたことが認められるから、Kには恒常的長時間労働があったと認めるのが相当であるとされました。
(オ)以上のように、本件では、心理的負荷が「中」となる出来事が複数認められるうえ、これらの出来事の前後において恒常的長時間労働があったことが認められることを総合評価すれば、「Kに対する業務による心理的負荷の強度は「強」であったものと認めるのが相当である」とされました。
6 まとめ
対象疾病の発症の事実認定がされなければ労災は認められません。労災を認めてもらうには、事実に合致する疾病を適切に選択し、その疾病を認定できる事実を適切に立証することが求められます。